
「金融の力で、安心を届ける。」をミッションに掲げる株式会社モニクル。モニクルでは、グループ会社を含めた3社全体のサービスやコーポレートサイト、オウンドメディアなどのデザインを手がけるデザインチームが活躍しています。今回は、デザイナーの大谷さんに、これまでのキャリアの歩み、現在の仕事内容、そして今後取り組みたい仕事内容についてお話を伺いました。

株式会社モニクル
デザイナー
大谷 和宏 Kazuhiro Ohtani
居住地を大阪→東京→北海道と徐々に北上中。
未経験からバッグメーカーのインハウスデザイナーへ
―――本日はよろしくお願いします。はじめに、これまでのキャリアについてお話をお聞かせください。
デザイナーとしてのキャリアは、大阪にある専門学校に入学したことからスタートしました。ロゴやポスターなど、いわゆるグラフィックデザインをメインに2年間学び、卒業後は大阪のバッグメーカーにインハウスデザイナーとして就職しました。
―――就職のタイミングで上京はしなかったんですね。
専門学校で2年間勉強したのですが、やはりまだまだ実力不足というか。漠然と、「東京は少し怖いところ」だと思っていたので、慣れ親しんだところで、地盤を固めてから上京しようと考えていました。
―――最初に就職されたバッグメーカーは、どのような会社だったのでしょうか。
カジュアルラインのバッグを作っているメーカーで、商品の企画から図面作成、撮影、ECサイトへのアップなど、一通りやっていました。製造は中国の工場でしたが、それ以外はすべて自社で進めていましたね。
―――初めてのお仕事の中で、大変だったことはどんなことでしたか。
小さな会社だったので、クローズドな世界というか、そういった面で少し苦労した記憶があります。業務的なところでは、 Webはほとんど経験がなかったですし、ECサイトに載せる写真の撮影をするのも初めてだったので、大変でした。
ただ、商品の企画をさせてもらえたのは楽しかったですね。ゼロから自分の思うように商品開発ができたことは、とてもよい経験になったと思います。
―――商品開発も担当されていたのですね。市場調査などもされていたのでしょうか?
大阪の「アメリカ村」の店舗に行ったりして、どういうものに需要があるのか、 男女問わずファッションチェックをしたりしましたね。販路の7割がネットショップだったので、ネットで何が売れているのかというリサーチもずっとしていました。
―――かなり広くリサーチしていたのですね。その時に一番身についたなと思うことはなんでしょうか。
サムネイルの見せ方ですね。主に商品ページを作っていたのですが、「たくさんある商品の中で、いかに目を引くか」というところが求められていました。他社のサムネイルをたくさんインプットして、積極的に新しい表現を取り入れましたね。
Webデザイナーに転身、大手広告代理店での挑戦
―――そのバッグメーカーには、何年在籍されたんですか?
約3年半ですね。バッグメーカーでは一通りのお仕事を経験させていただいたのですが、少し自分自身の伸び悩みを感じていて。環境を変えたいなと思い、「いよいよ行くぞ!」という感じで、東京の制作会社に転職しました。
Webもグラフィックもできる会社でしたが、僕はWebデザイナーとして採用されました。
―――バッグメーカー時代と比べて、お仕事の内容がまったく違うと思うのですが、前職のスキルが役立つことはありましたか?
前職では、男性向け・女性向け問わず、いろいろなバッグを作っていたので、テイストを合わせたり、別のテイストを取り入れたりするスキルが身についていました。そうした前職時代の経験を活かして、ジャンルがまったく違うクライアントさんにも対応できたかなと思います。
―――制作会社時代に、特に印象に残ってるお仕事を教えてください。
制作会社から広告会社へ、アートディレクターとして出向して、1年ほど働かせていただき、大手企業の仕事を担当していたことがありました。
それまでは、ある程度仕様が決まっているものに対してデザインしていく業務がほとんどだったのですが、そこではもっと上流から考える立場の仕事を担うことになったんです。デザインのコンセプトから考えるのは苦しくもあり、楽しくもありました。当時経験したのは刺激的な仕事ばかりで、自分の人生において大事な時期だったなと思います。
―――順調にステップアップされたのですね。ずっとデザイナーとして働かれていたんですか?
最後の1年間はWebディレクターとして働きました。デザイナーのチームを持つことになり、必然的にディレクターというポジションになったという感じです。チームリーダーのような立ち位置でしたね。
―――働き方が大きく変わったと思うのですが、その後のキャリアについては悩みませんでしたか?デザイナーとして手を動かしていくのか、ディレクターになってマネジメントをしていくのか。
そうですね。ディレクターになってからは、部下に仕事をどんどん振らないといけなかったので、直接デザインをする仕事からは離れていたんです。 でも、僕はまだその時20代だったので、「もっと自分でも手を動かした方がいいな」とぼんやり考えていました。2020年くらいだったので、ちょうどコロナ禍に入ったばかりの時期でしたね。
ワークライフバランスを見直し、移住を決断
―――それから大谷さんは、モニクルフィナンシャル(モニクルの子会社、旧:株式会社OneMile Partners)に転職されたんですよね。何かきっかけはあったのでしょうか。
制作会社での仕事はすごく楽しかったのですが、忙しすぎて家族仲がぎくしゃくしてしまったんです。なかなか家に帰れないくらいで、きちんとコミュニケーションをとる時間がもてませんでした。そこで、「一回しっかり休みを取って北海道に旅行に行こう」ということになり、旅先の北海道に一目惚れしたんです。結果的にはその旅行が北海道への移住を考えるきっかけになりました。
―――移住というとハードルが高い気がしますが、北海道にゆかりがあったのでしょうか?
僕も妻もゆかりはないんです。でも、旅行のときはちょうどコロナ禍だったので、「北海道でリモートする働き方もいいかもしれない」と思いました。仕事とプライベートのバランスを考えて、フルリモートで働ける会社に転職しようかなと考え始めました。
―――それから転職を決められたきっかけはなんだったんですか。
ワークライフバランスを考える時に、将来的な海外移住も視野に入れつつ、「自由な働き方をしよう」と夫婦で話し合っていました。海外からも勤務できる完全フルリモートの会社を探した時にヒットしたのがモニクルフィナンシャルでした。
―――3年半くらい前かと思いますが、当時は完全フルリモートの会社はありましたか?
いまは比較的探せば見つかると思うのですが、当時は本当にレアでしたね。選考の時にアメリカや台湾在住の社員もいるという話を聞いて、志望度は上がっていきました。
―――入社の決め手は何でしたか?
当時、採用担当者がまだいなくて、一次面接が原田さん(代表取締役 CEO)だったんです。面接では金融業界のお話を聞きました。僕自身、金融業界は全く視野に入っていなかったのですが、ちょうどその頃、「資産運用」や「NISA」「iDeCo」などの言葉が一般的になってきた時代だったんです。資産運用を扱う会社はこれから伸びそうだと感じました。
あとは、原田さんの安定感も決め手でしたね。モニクルフィナンシャルはベンチャー企業ですが、原田さんが全力をかけて経営していることを知って、この会社は絶対に成長しそうだなと思いました。原田さんにもぜひ来てほしいといっていただけたので、「力になれるのであれば」と入社させていただきました。そしてその後、モニクルが設立されたタイミングで、モニクルに移りました。
フルリモート勤務を開始、すぐに北海道へ移住
―――入社してすぐに北海道に行かれたんですか?
そうですね、入社して2ヵ月ぐらいで行きました。ある日、夫婦で「北海道に住もうか」という話になったんです。移住できる状況になったから行こうか、と。週末に北海道に行く手配をして、そこでいくつか内見して、家を決めて。それから1ヵ月もたたないぐらいで引っ越しました。
―――北海道に引っ越して、お仕事も変わったばかりで、その辺はいかがでしたか。当時、人もまだ少ない中で大変だったと思うのですが。
いまもそうですが、弊社のメンバーはみんなすごくいい人なので、そこまで大変という感じはなかったですね。
その当時は毎朝、役員とデザイナーで朝礼ミーティングをしていたんです。そこでデザインの進捗報告もしていて、すごいスピード感でガシガシ進んでいたというのは覚えてますね。
コーポレートサイトから診断ツールまで幅広いデザインを担当
―――入社後は、どのような業務を担当されましたか?
「マネイロ」ですね。その後すぐに「3分投資診断」のUIなどのデザインを担当しました。
―――「3分投資診断」のデザイン業務について詳しく教えてください。
実は、「3分投資診断」の前に、マネイロでは「1分投資診断」という別の診断サービスがありました。その中で「3分投資診断」は、 ロジックも含めて新しいものを作ろうという原田さんの意気込みが強くて、「ユーザーが使いやすいUIにする」ということに一番にこだわっていました。
いまの診断は対話型になっているのですが、その前はスライドする形で作ったりもしていたんです。ただ、これだとお客様はタップが多くて離脱してしまう可能性があり、現在の形になりました。
「3分投資診断」では、途中途中でコンシェルジュのイラストがあらわれます。
―――応援してくれたり、いいタイミングで出てきますよね。
ユーザーの立場に立って、どうすれば快適に診断を受けてもらえるか考え、役員の方と一緒にUXを考えることができたのは貴重な経験でしたね。
―――その後はどのようなプロジェクトに携わられたのでしょうか。
モニクルのコーポレートサイトのデザインとディレクションをしました。その後に「ミーチョイス」の立ち上げ、その次にオウンドメディア「モニクルプラス」の立ち上げ。それから「ほけんのコスパ」も担当しましたね。
―――大谷さんは立ち上げを担当されることが多かったんですね。
そうですね、いままでの経験が活かせていると思います。
フルリモートでの円滑なコミュニケーションの工夫
―――それでは、現在の働き方についても伺っていきたいと思います。東京での完全フル出社から、環境が大きく変わったと思います。フルリモートになってから、困ったことはありますか?
困ったことは、出張で夏場の東京に来た時に、北海道との気温差のギャップが激しいということですね。北海道の快適な夏を経験してしまうと東京の暑さは堪えるものがあります。
あとは、地方にいると、デザイン系のイベントに参加しづらくなったというのはありますね。北海道では、東京よりはイベントが少ないので、オフラインでのインプットの機会は減ったと思います。
―――デザイナーとして刺激を受けることは大事ですもんね。でも逆にいうと、それぐらいしかないということですね。
そうですね。もう北海道は住みやすいので。別に東京にたくさん友だちがいるわけでもないですし(笑)、いまはもう、北海道がホームですね。
―――メンバーと直接会うことがない中で、コミュニケーション面で気を付けていることがあれば教えてください。
リアクションをなるべくオーバーにしています。うなずくとか、相づちを打ったりするように気を付けていますね。
例えば、オンラインミーティングでデザインを画面共有すると、自分の画面しか映らず、相手の反応が画面越しで見えなくなるんです。リアクションが声でしか受け取れないので、「いま、みんなはどう思っているんだろう?」と、デザイナーだったら分かると思うのですが、すごくドキドキするんです。
―――オンラインだと、相手の反応がなかなか見えづらいですよね。
対面だったら、相手のリアクションが分かりやすいのですが。なので、「ははぁ、なるほどなるほど」「いいですねぇ」というようにして、気持ちよくデザインを共有してもらえるように気をつけています。相手が不安にならないような空気感を心掛けていますね。
―――シーンとしている中で私もデザインを見せてもらうこと多いですが、不安になるものなんですね。
最後の最後で「いいですね!」といわれてほっとするんですが、プレゼンしてる時はもう心臓がバクバクしていますね。取締役の泉田さんはその点を気遣ってくださり、「確かに」「なるほど!」とたくさん相づち打ってくれます。そういう時はこちらもすごく気持ちが乗りますね。
あとは、Slackでのコミュニケーションも、なるべく温度を乗せるようにしています。リアルで喋っている感じが伝わるようなイメージですね。
―――確かに、文章でのコミュニケーションは、また違った難しさがありますね。
少しだけ砕けるように気を付けてますね。テキストを受け取って、その文面が「よかったのか?そうでもないのか?どっちだろう」と判断がつかないときがあって。どういうテンションで返事をしようかと悩むことがありますね。
―――対面の会話と違って、ニュアンスが伝わりづらいときがありますよね。
「オッケーです」ときたら、それは本当によかったのか、まぁいいでしょう、なのか悩みますし。「バッチリです!」とか、「いいね!」みたいなスタンプがあれば、本当に大丈夫だったなと安心できますよね。テキストコミュニケーションでは、スタンプを使ったりして、ニュアンスを伝えることがとても大事だと思います。
「大きな船で荒波を超える」モニクルの挑戦と安定感
―――大谷さんから見て、モニクルはどんな会社だと思いますか?
すごくチャレンジングで意欲的な会社だと思っています。「誰もが使えるプラットフォームを実装する」というビジョンを掲げて、それを多角的にどんどんやっていこうとしています。ビジョンに対して、役員の中でいろいろなプランがあって、 それをどんどん実行していっている会社だなというのは、働いていて実感しています。
―――大谷さんは、いま在籍しているメンバーの中で最初の頃からいらっしゃいますが、実際に会社の変化を見ていて、そういう風に思うのですね。
そうですね。すごくチャレンジングだけれども、安定感もある。代表取締役の原田さんがいるから、その辺りは他のベンチャーとは違うところなのかなと思っています。大きい船で荒波に乗っている、みたいな感じですね。小さな手漕きボートではないので、安定しているところがポイントです(笑)。
―――会社のメンバーの印象というのはいかがですか。いろいろな方が増えていますが、 役員や上司の印象は初期から変わりました?
変わっていないですね。この人と働いていて不安だなと思う人がいません。モニクルには「いい人」が多いと感じますし、皆さん何かしらのスペシャリストなので、すごく安心感がある方々ばかりだと思いますね。
―――最後に、デザイナーとして、これからモニクルでやっていきたいことを教えてください。
先ほどお話したように、いままではプロジェクトの立ち上げが多かったのですが、今年からはプロダクトを成長させていくことがメインになります。成長フェーズでは、いままでとはまた違う課題が出てくると思います。会社がだんだん大きくなっていることもあり、「属人化しない仕組み作り」が重要だと考えています。
―――「属人化しない仕組み作り」というと、具体的にどんなことでしょうか。
専門的な話でいうと、「デザインシステム」を作りたいです。誰もがそのプロダクトを実装できるような標準化をしていきます。 今後は、より実用的な、運用を意識したもの作りをしていかないといけません。それがいままでと違ったところかなと思いますね。
―――デザインシステムを作ることで、誰が関わっても統一感のあるプロダクト開発が可能になるということですね。
はい。サービスが基盤に乗ってきて、それを成長させるためには必ず必要になると思います。今年はデザインシステムにも力を入れていきたいと思います。
―――本日はありがとうございました!
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株式会社モニクル
モニクルー編集部